NHK「逆転人生」で、『グレートマザー』の異名を持つ女子ボートレーサー(競艇選手)の日高逸子(ひだか・いつこ)さんと夫の日高邦博(ひだか・くにひろ)さんが出演しました!
日高逸子さんが59歳の現在もなお、トップレーサー・レジェンドとしてレースを続けてきたのは夫の邦博さんの支えが大きいと言います。
目次
馴れ初めと結婚
二人の出会い
日高逸子さんは高校卒業後、地元宮城県の信用金庫に就職するものの「机に向かう仕事は性に合わない」と1年で退職し単身上京します。
子どもの頃から貧しい生活だったこともあって、手に職を付けたいとお菓子づくりの修行をしていましたが、当時は自分の店を持つためには実家が菓子店を営んでいる子弟にほぼ限られていたそうです。
そのためツアーコンダクターとして働こうと東京・中野の旅行専門学校に通い始めた時、同い年の井上邦博(いのうえ・くにひろ)さんと出会いました。
新潟県出身の邦博さんも高校卒業後、製薬会社に就職して上京しましたがツアコンを目指して1年半で退職し、旅行専門学校に通ったという経歴を持っています。
日高逸子さんと出会ってすぐにその魅力に惹かれた邦博さんは、なんと、
旅行専門学校時代の1年間の間に、「つきあってくれ」と8回も告白したそうです ː̗̀(☉.☉)ː̖́
邦博さんは告白回数は6回としていますが、日高逸子さんは8回告白されたとしています 笑
そして告白の度に、日高逸子さんから断られ続けていたそう…
どっちにしても何回振られても、1か月半か2か月周期であきらめずに告白するってすごいですね!
ただ邦博さんを「良い友達」としか見ていなかった日高逸子さんと、専門学校時代に交際は叶いませんでした (๑°ㅁ°๑)‼✧
専門学校卒業後、日高逸子さんとの恋は叶わないまま(涙)邦博さんは旅行会社、企画会社へ転職。
それでも友人としての連絡は取りあっていたということは、やっぱり運命的な出会いだったんですね (๓´˘`๓)♡
しかもその後、何度も交際を迫られていた…という話です!
日高逸子さんの当時のかわいい画像や地元の就職先についての記事も、こちらからご覧いただけますのであわせてご覧ください。
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結婚までの経緯
日高逸子さんがボートレーサーの試験に合格したのは1984年、デビュー戦は翌1985年5月です。
福岡支部に所属となり、九州という慣れない土地柄の中や当時は男性優先の暗黙の『選手道』が残る中でも、人一倍努力をして実力をつけていきます。
1989年にはJAL女子王座決定戦競争で優勝、女子ボートレーサーの草分けともアイドルレーサーとも言われる人気の高さでした。
邦博さんはこの頃新潟でサラリーマンをしていましたが、
1995年になって邦博さんが「結婚してみようか」と言った時、日高逸子さんは「マネージャーになってくれたらいいかもね」と返事をしたことで結婚に発展 ː̗̀(☉.☉)ː̖́
出会いから10年以上友人で、生活拠点も福岡と新潟という中、1996年8月8日の末広がりの日を選んで結婚しました!
「つきあってくれ」では心を動かさなかった日高逸子さん、「結婚してみようか」の言葉に何か特別に感じるものがあったようですね💓
結婚に当たって日高逸子さんは、入籍は自分の「日高」姓にしたいことを申し出て邦博さんもこれを了承します。
当時は邦博さんの両親が反対するかと心配したものの、長男が家を継いでいたことから邦博さんの両親から逆に感謝されたそうです。
結婚を機に夫の姓に変える女子ボートレーサーが多い中、日高逸子さんはやはりキャリアの面でこだわりがあったように思います。
別居生活と主夫の仕事
福岡
結婚した当初の日高逸子さんと邦博さんは、当初は福岡と新潟での別居婚という新婚生活を送っていました。
結婚の翌年・1997年3月に第一子(長女)が誕生👶
これを機に邦博さんは会社を辞めて福岡に移り住み、専業主夫となります!
最大の理由は子育てをすること!
ボートレーサーは全国の開催地を転戦し、1週間レースに出て1週間休むことの繰り返しで、妻の日高逸子さんはほとんど出張しているような状態です。
また当時の日高逸子さんは収入が3,000万円という巨額であったことやレーサーを続けることが結婚前からの約束だったこともあったと思います。
日高逸子さんの年収やその偉大な経歴などをまとめた記事も、ぜひご覧ください。
日高逸子の年収と生涯獲得賞金はいくら?グレートマザーの由来とは?【逆転人生】
1年の半分以上、家を空けて全国を飛び回るボートレーサーの家庭を守るため、邦博さんは専業主婦として育児と家事を担当しました。
1999年7月には第二子(次女)も誕生👶
どちらの出産後も、日高逸子さんはわずか3か月でレースに復帰しています。
日高逸子さんは、当時のことをこのように語っています。
夫が専業主夫として支えてくれたが、授乳期はつらかった。レース開催中は不正防止などの目的もあって、選手はレース場近くの宿舎に缶詰めになり、外部との連絡を断たれる。乳飲み子なら入れてもいいでしょう、という甘い世界ではない。
選手は全国の開催地を転戦し、1週間レースに出ては1週間休む、といった生活パターンを繰り返す。
「もうすぐレースに出かけていなくなるというのは赤ちゃんでもわかるんですね。目が潤んでいるんです。それを見るとああ、やめたとか、子供と一緒にいたい、とか思います。でも(そんな気持ちを抑えるのも)プロには必要なんで」。
レースの期間中、飲み手のいないお乳が張ってくる。宿舎で搾って冷凍し、レース最終日に夫に送った。子供に会えるまであと3日、2日と、指折り数えていた。WOMAN SMART
こんなに厳しくてストイックな競技生活の中でも、二人の娘たちを母乳で育てる工夫や努力、また夫・邦博さんへの絶大な信頼というのが伝わってきます。
大きな家族愛に、本当にすてきな家庭を築いてきたんだと感じました。
スーパー主夫
最近は専業主夫やイクメンも増え、社会的にその認知度は高くなりました。
でも日高逸子さんと邦博さんの結婚当初は、まだ浸透していない時代だったのではないかと思います。
そして邦博さんは、ただの専業主夫ではなかったんです ✧*。٩(ˊᗜˋ*)و✧*。
主夫であるという経験を活かした、積極的な活動を行っています。
- 男性の子育て実践者としての執筆活動
- 講演会・シンポジウムの講師、パネリスト
- 新しい家庭のかたち・子育てについての発信(ブログなど)
- 夫婦でのテレビ出演、雑誌・新聞の取材対応
日高邦博さんは、著書「逸子さん、僕が主夫します!ー競艇のグレートマザーに恋して」という本も出版しています!
タイトルがすごくて、見た方が照れてしまいました!
出版されたのは2007年7月ですから結婚して9年目、告白し続けた専門学校時代から20年近くも日高逸子さんのことをとても愛しているんだなぁと感じますね (⑉• •⑉)♡
もちろん現在もとってもラブラブのお二人に、驚いてしまうくらいでしたね!
まとめ
今回は「逆転人生」で夫婦で出演、女子ボートレーサー・日高逸子さんの夫・邦博さんとの馴れ初めや、別居や日高姓での入籍、主夫としての活動についてご紹介しました!
女性としてレースに挑戦し続ける妻と、それを支えるスーパー専業主夫の日高逸子さん・邦博さん夫妻は、時代を切り開いてきた実践者でもありますね。
またA1級を目指して再チャレンジを決めた日高逸子さんと夫・邦博さんを、応援していきたいと思います!
それでは、最後までご覧いただきありがとうございました!
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