アニメ監督の鈴木勇士さんが、2021年9月9日に亡くなっていたことが判明しましが、「EDENS ZERO(エデンスゼロ)」の公式サイトで発表された内容では、年齢や死因は非公表です。
目次
年齢や死因
何歳だったの?
アニメ監督・鈴木勇士さんの死が公表されましたが、年齢が全く不明です。
ネット上では、30代・40代という情報もありますが不確定のようです。
調査を進めたところ、アニメ監督・鈴木勇士さんの年齢が判明しました。
鈴木勇士さんは、
- 1983年(昭和58年)生まれ
- 2021年(令和2年)、享年37~38歳
本当にまだ若く、将来に大きな期待をされていた人物であることが分かります。
死因は何?
アニメ監督・鈴木勇士さんの死は、「急死」であることが公式発表からも分かります。
あまりにも突然の訃報に、スタッフ一同未だ信じがたく、深い悲しみの中にあります。本作において鈴木監督には多大なご尽力をいただきました。今は皆様とともに、心からご冥福をお祈りしたいと思います。
— EDENS ZEROプロジェクト公式 (@EDENSZERO_PJ) October 2, 2021
鈴木勇士さんが急死したことが発表されたのは、2021年10月3日。
死亡から約1か月も経ってからの発表です。
死因について明らかにされない理由は、以下が考えられます。
- 故人に配慮すべき事情がある
- 遺族の意向
アニメ監督・鈴木勇士監督の年齢=享年37~38歳と周囲の反応を考えれば、持病によるものではないようです。
考えられる死因は、大きく分けて以下になると考えられます。
- 脳や心臓などの急性疾患(脳梗塞・心筋梗塞など)
- 新型コロナへの感染
- 事故死
- 自死
急速に進行し死に至ったことを考えると、慢性的な病気を抱えていたとは考えにくいと思われます。
出身や作品
名前の読み方と出身地や大学
アニメ監督・鈴木勇士さんは、東京で活躍していたことが分かっています。
ところが出身だけではなく、名前の読み方さえはっきりと分かりませんでした。
調査の結果、アニメ監督・鈴木勇士さんのプロフィールが判明しました。
* 読み方:すずき ゆうし
* 生年:1983年(昭和58年)生まれ
* 享年:37歳または38歳
* 出身地:愛知県
* 出身校:名古屋芸術大学美術学部絵画科 卒業、名古屋芸術大学大学院絵画科研究科 修了
名古屋芸術大学大学院を修了するという、とてつもない学歴と、実力が判明しました。
大学院修了後は、名古屋で活動をしていたようです。
その後東京に活動拠点を移し、アニメの絵コンテや演出を手掛けるようになりました。
担当作品は?
アニメ監督・鈴木勇士さんが急死されましたが、現在までどんな作品を担当していたのでしょうか。
鈴木勇士さんが手掛けた作品と、役割についてご紹介します。
- 革命機ヴァルヴレイヴ<2nd SEASON>:作画監督協力
- FAIRY TAIL<2014>:絵コンテ・演出
- 新妹魔王の契約者:演出
- 聖闘士星矢 黄金魂 soul of gold:演出
- 聖戦ケルベロス 竜刻のファタリテ:演出
- ヘボット!:絵コンテ・演出
- 王室教師ハイネ:絵コンテ・演出
- カードファイト!!ヴァンガードGZ:絵コンテ・演出
- FAIRY TAIL<2018>:絵コンテ・演出
- 超人高校生たちは異世界でも余裕で生き抜くようです!:絵コンテ・演出
- 游☆戯☆王 SEVENS:演出
- 無能なナナ:絵コンテ・演出
- ログ・ホライズン 円卓崩壊:絵コンテ・演出
- EDENS ZERO:監督・コンテ・演出・アクション作画
- 月が導く異世界道中:アクションディレクター・演出
アニメ監督・鈴木勇士さんが手掛けた「EDENS ZERO」最終回に合わせ、その死が発表されました。
鈴木勇士さんにとって「EDENS ZERO」は、初監督作品だったのです。
ヘボット!で大活躍の後本作で初監督を務め遺作となりました。
ー デイリー -
初監督作品が遺作となるとは、本当にやるせない気持ちになります。
人物
アニメ監督・鈴木勇士さんはどんな人物であったのか、本人インタビューや周囲の声などをご紹介します。
本人の意気込み
初監督となったアニメ「EDENS ZERO」の制作にあたり、鈴木勇士さんは総監督の石平信司さんと一緒にインタビューに答えていました。
鈴木勇士さんが亡くなった2021年9月9日の約1か月前、2021年8月7日のインタビューです。
鈴木監督
深夜1時くらいに石平さんから電話がありました。
石平さんからの電話はめったにないので、
重大な内容なのだろう……と電話に出たら、
監督というお話でびっくりしました。「このチャンスは逃してはいけない!」という思いもあり、
「お願いします!」と返答しました。石平総監督
鈴木さんは「FAIRY TAIL」の第2期から入っていただき、
その後も「ヘボット!」でも右腕的な活躍をしていただきました。
そろそろ監督をやってほしかった。鈴木監督
ありがたいです。
「FAIRY TAIL」は最初、作画として参加していて、
その後、演出を志願して担当させていただきました。ー gooニュース -
本当にアニメの仕事が大好きで、意欲がものすごく伝わってきます。
鈴木勇士さんは、まだ先を目指していた、新進気鋭のアニメ監督だったのです。
周囲のコメント
まずは鈴木勇士さんに「EDENS ZERO」の監督を依頼した、盟友ともいえる石平信司さんのコメントです。
アニメの総監督を務め、鈴木監督を支えた石平信司氏は自身のツイッターに
「EDENS ZEROの監督、鈴木勇士が永眠されました。
ヘボット!で大活躍の後本作で初監督を務め遺作となりました。
頼れる右腕で相棒でライバル。
大切な友。今までありがとう。マジお疲れ。
今はゆっくり休んでくれ。
最後に飛ばしたLINE届いたか?
そっちでネタためとけよ。
忘れねえ。来世でな。また遊ぼうぜ」と記した。
ー デイリー -
また「EDENS ZERO」の原作者・真島ヒロさんも、追悼の意を表しています。
真島ヒロ氏により「週刊少年マガジン」(講談社)にて連載中の
同名SFファンタジー漫画が原作。真島氏は自身のツイッターで
「素敵な作品に仕上げてくれた鈴木監督には感謝しかありません。
ありがとうございました。
ご冥福をお祈りいたします」と悼んだ。ー デイリー -
本人や石平信司総監督のコメントを見ると、アニメ監督・鈴木勇士さんの死は本当に予想外のものだったことがわかります。
都内の病院で治療中だったことしかまだ判明していませんが、若すぎることと惜しまれる才能を思うと悲しくなります。
まとめ
この記事では、アニメ監督・鈴木勇士さんの死亡時の年齢(享年)や死因についてと、出身地と大学や作品をご紹介しました。
ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
それでは、最後までご覧いただきありがとうございました。