井手上獏は母子家庭だった?生い立ちや母の教育と父親がいない理由は?

エンタメ

井手上獏さん18歳(2021年5月現在)、今ではジェンダーレスのタレント・モデルとして大人気です!

実際は自分の「性」について悩み苦しみながら島根県隠岐諸島の小さな島から、中学校・高校時代にすでに自身を全国に発信してきた芯の強い人物です。

この記事では、井手上獏さんの育った環境が母子家庭であったことや生い立ち、母親や姉・家族・恩師などについてをご紹介していきます!

生い立ち

基本プロフィール

最初に井手上獏(いでがみ・ばく)さんのプロフィールを、サクッとご紹介します!

【井手上獏(いでがみ・ばく)】
*生年月日:2003年1月20日(2021.6現在、18歳)
*出生地:島根県隠岐郡海士町
*身長&体重:164㎝、49㎏
*血液型:B型
*出身校:海市町立海士中学校、島根県立隠岐島前高等学校 卒業
*好きな食べ物:マスカット
*好きなこと:ファッション、美容
*特技:歌、絵、バレーボール
*家族:母、姉

井手上獏さんは、中学3年生の時「少年の主張 全国大会」に出場し、文部科学大臣賞を受賞

2018年「ジュノン・スーパー・ボーイ・コンテスト」ファイナリスト(応募者16,293人中13人のみ)、DDセルフプロデュース賞を受賞

「ジュノン・スーパー・ボーイ」で井手上獏さんが登場すると、『かわいすぎるジュノンボーイ』というキャッチフレーズがつきました!

高校在学中の2019年10月に芸能事務所・ディスカバリーネクストに専属所属、タレント・モデルとして芸能活動を始めることになります。

 

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ジェンダーレス

幼少期

井手上獏さんは男性として出生し、母親から見て「ふつうの男の子」として育っていました。

そんな幼少期に結婚式に出席し、花嫁さんのドレス姿に一目ぼれしてから「女の子らいしいもの」に興味を持つようになります。

小さな井手上獏さんにとって、人との違いが分かることなく自分の自然に好きなものや興味の対象だっただけだと思います。

小学校低学年の時には、リカちゃん人形をポニーテールにして小さなかばんに入れてリカちゃんと散歩してきたことを嬉しそうに母親に報告していたというエピソードもあります。

葛藤

幼い頃から女の子の遊びが好きでいた井手上獏さんも、小学校の高学年になると周囲から異質な存在のように見られていることに気づき始めます。

そのため「男子に合わせる日々」を自分に強いることになっていきます。

小学校5年生の時肩まであった髪を短くすることなど、「男の子」であるべきということに悩みと葛藤を抱えたまま中学校へ進学しました。

男子の外見にしぐさは以前のままだったことなどから、逆に「気持ち悪い」という言葉を受けたこともあったそうです。

その苦しみから井手上獏さんを救い出したのは、母親の言葉でした。

家族と学校生活

母子家庭

父親はいない?

井手上獏さんは、自身の育った環境は母子家庭であると告白しています。

自身にとって最も大きな出会いを尋ねると、「母です」と即答。

「お腹の中に私を授かったことです。母が母でなければ、私は私ではないので、大きな出会いは母です」と話し、

「私の家庭は母子家庭で、親戚も男の子が少なく、女性と関わることが多かった。友達も女の子が多いですし、こういった環境で育ったからこういう私ができたんだなと思うと、それはそれでよかったなと。すべてに感謝です」と笑顔を見せた。

マイナビニュース

井手上獏さんは自身のSNSで、母親についてこのように投稿しています。

私のお母さんは世界で一番かっこいいです。
女で一人、私と姉を強い子に育ててくれました。
母はずっと働きっぱなしでしたが、私たちに教えてくれたことは数えきれません。

井手上獏公式Instagram

井手上獏さんはこれまで、母・姉・祖父母について語ることはあっても、父親については情報がありません

ひとつ年上の姉(暖乃:のんの さん)と井手上獏さんがまだ幼いころ、父親は何らかの理由で一緒に住むことができなくなったと推察されますが、詳細については語られていません

その代わりずっと働き続け、二人の子どもたちを育て上げた母親は常に井手上獏さんの味方でした。

ありのままで

井手上獏さんの自身の「性」との葛藤から解放したのは、母親のひとことでした。

ありのままの自分ではいられず苦しい日々が続いたが、中学2年生のときに母親から「ありのままで生きなさい」と言われ、ありのままで生きることに。

「母が味方なら怖くないと思い、そこからはマナーは守りながら、なんでもかんでも自由に、どこまでも自分を貫くという意志を持って生きてきました」と生き生きと語り、
「それまでは無口で、自分のことを話すこともまったくできませんでしたが、そのときから自分の意見を言えるようなりました」と、大きな転機となった。

マイナビニュース

「漠は漠のままでいいんだよ。それが漠なんだから」という母親の言葉に救われ、堂々と自分らしく生きるように。

modeless

井手上獏さんは高校時代には自らジェンダーレスであることをカミングアウトし、制服改革や「ジュノン・スーパー・ボーイ」応募など次々に挑戦

高校時代の3年間は毎日がキラキラと輝いた日々を過ごしたそうです。

そしてジェンダーレスということを強みに、男女問わないファッションの提案や自分の発言で救われたりするという人たちがSNSで現れるという影響力を持つようになります。

井手上獏さんはSNS上に「質問箱」を設けて、同じ悩みを持つ人からの質問を受けたり相談に乗るという活動も行っています。

恩師

井手上獏さんが中学校3年生で「少年の主張 全国大会」に出場し、文部科学大臣賞を受賞しています。

これは当時の自分の「性」との葛藤について、個人的に当時の国語教師に見せた作文「カラフル」がきっかけでした。

海士町立海士中学校3年に在学中[9]、自分が自分らしくあるためにはどのように心を保ち振る舞えばよいのか思慮した経験を元に、作文『カラフル』を書き綴った。作文を読んだ国語教師の薦めで、「第39回少年の主張全国大会」に出場。

Wikipedia

この時の国語教師は女性の先生で、受賞した際に井手上獏さんと共に取材にも応じています。

とても優しそうで聡明さと人柄が伝わるような方です。

井手上獏さんの想いを受け止め、さらにその説得力・文章力などの才能まで見抜き、社会にとって必要な主張であることまで見通していたということですね。

高校時代にも井手上獏さんの活動を見守っていた恩師が、たくさんいたのだと感じます。

母からのライン

井手上獏さんは2021年の「母の日」に、母親から届けられたラインの内容を公表しています。

そこには井手上獏さんの初のフォトエッセイ「normal?」についての感想とともに、母親としての熱い愛と思いもつづられています。

normal?読ませてもらいました!

18年間、正解が分からず、何が正しいか、どうしたら良いか、ずっとずっと悩み続けてきました。

普通だったらどんなに漠は幸せだっただろうとか、お母さんのせいなんじゃないかとか、、、
考えても考えても出ない答えを探す日々でした。

(中略)

漠が戦ってきた18年はお母さんが母として強くなれた18年でした。

いつもドーンと構えて何があっても大丈夫ってタイプのお母さんでやってきたけど、ほんとはいつも不安でいつも迷っていつも悩んできました、、、

normal?
読ませてもらって、やっとこれで良かったんだと思えました。
お母さんがずっと願っていた事。
漠が未来に希望を持てること。
漠が自分の道を諦めたりせずに未来を選んで行ける事。
今、まさにそうなっています。
その姿にホッとしています。
18年間が走馬灯のように駆け巡り、15回は号泣したかな、、。
normal?
は、お母さんにとって、有難いラブレターでした!
心からありがとうございます☺️

実際の投稿は、下記になります。

 

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本当になんて素敵なお母さんなんだろうと思います。

いつもとことん井手上獏さんとお姉さんを愛し抜き、帰る場所となれるよう自身も葛藤しながら笑顔で受け止め続けたという強く深い愛情に感動してしまいます。

母も感動したという井手上獏さんのフォトエッセイ「normal?」には、自分の今までの経験や家族・性・SNSについて素直な言葉で綴っていると高評価を得ています。

井手上獏さんの性別・普通ということにとらわれない生き方、多様性についてまで表現されているこの本は、予約開始後すぐに重版となる人気となるほど、多くの人が注目しています。

井手上漠フォトエッセイ normal? [ 井手上 漠 ]

まとめ

この記事では、井手上獏さんの育った環境が母子家庭であったことや生い立ち、母親や姉・家族・恩師などについてをご紹介しました。

まだ18歳でありながら、自分のありのままを発信する井手上獏(いでがみ・ばく)さん!

これからの活躍は、ジェンダーレスだけではなく様々な「常識」と呼ばれる壁を超えた活動をしていくことになりそうです!

心から応援していきたいと思います!

それでは、最後までご覧いただきありがとうございました(^▽^)/

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