1968年に発売直前になって世に出ることがなかった歌「イムジン河」。
放送禁止にもなったというこの曲「イムジン河」は、それでもずっと人々に歌い継がれ続けました。
今回は「イムジン河」が放送禁止となった理由と、実際の「イムジン河」の場所などについてご紹介します。
放送禁止の理由とは?
誰の歌なの?
「イムジン河」という曲は、京都のアマチュアバンド「ザ・フォーク・クルセダーズ」のセカンドシングルとして発売される予定でした。
「フォークル」の愛称で親しまれていた「ザ・フォーク・クルセダーズ」は、1967年に『帰って来たヨッパライ』が大ヒット、注目の最中でした。
この「イムジン河」は作詞家の松山猛さんが、「フォークル」の加藤和彦さんに相談し制作された曲です。
松山猛さんが中学時代に朝鮮学校に通う女性から聴いたこの楽曲は民謡だと思い、その美しさを新たな曲として歌詞を書き加えたり歌いやすく加藤和彦さんが編曲したそうです。
ベースになっていたのは著作権のない朝鮮民謡、という認識だったのです。
民謡ではなかった?
「フォークル」の「イムジン河」はシングルリリース前から、ライブやラジオで流されていました。
抒情的なフォークソングは多くの人のこころをつかみ、セカンド・シングルの予約が殺到。
当時で何と13万枚もプレスされていたのです。
が、販売の2日前(すでにレコード店に出荷後)、在日朝鮮人総連合会からの抗議が発売元の東芝レコードに手渡されました。
実は「イムジン河」は朝鮮民主主義人民共和国の歌曲「臨津江(イムジンガン)」で、作詞者・作曲者が存在したのです。
さらに歌詞内容が勝手に変更されているということについても抗議を受け、販売することができなくなってしまいました。
放送禁止の理由は?
「フォークル」の「イムジン河」は、発売禁止と在日本朝鮮人総連合会からの抗議という経緯から、『放送禁止』扱いとなってしまいました。
この背景には、1970年のベトナムの反戦運動や学生運動もあり、各放送局が自粛せざるを得なかったこともあります。
ただ、実は「イムジン河」は明確な『放送禁止』を受けた楽曲ではなかったのです。
あくまで放送する側の自粛が続き、封印された歌となってしまいました。
場所や行き方
イムジン河の場所はどこ?
実際の「イムジン河」=臨津江(イムジンガン)は、朝鮮半島を流れる河で、韓国と北朝鮮の軍事境界線に非常に近いところに位置します。
源流は北朝鮮の江原道法洞郡にある頭流山です。
軍事境界線を越えると、韓国側に入り、漢灘江という大きな支流と合流します。
行き方は?
「イムジン河」への行き方はあるのでしょうか?
北朝鮮では所有する「イムジン河」の北岸を『民間人出入り統制区域』としており、許可を受けた住民・観光客以外は立ち入れません。
※北朝鮮に入国することも日本からは基本的に出来ません!
ですが韓国の事情は違います。
「イムジン河」そばの「臨津閣(イムジンガッ)」という国民観光地は、観光やデートスポットとしても人気の場所なのです。
カフェやレストラン、コンビニはもちろん、展望台からは対岸を見ることもできます。
特に日本人や中国人に人気の観光スポットで、お土産も充実しています。
実際の歌
フォークル
「ザ・フォーク・クルセダーズ」が歌っていた動画が残っていて、今でも見ることができますのでご紹介します!
映画化
2005年の大ヒット映画「パッチギ」は、実は先述の松山猛さんが「イムジン河」にまつわるエピソードを描いた「少年Mのイムジン河」が原案です。
映画「パッチギ」では全編に「イムジン河」が流れる構成になっており、主人公も実際に歌っています。
まとめ
時代の中で翻弄されながらも、人々の心の支えになり続けた歌が「イムジン河」でした。
放送禁止という処分があったわけではなく、時代背景がこの名曲が表に出ることを許さなかったということですね。
今回は「イムジン河」にまつわるエピソードや実際の場所についてご紹介しました。
最後までご覧いただきありがとうございました!
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