俳優の内田朝陽(うちだ あさひ)さんが、2020年末に離婚をしていたことが分かりました。
目次
馴れ初めや家族愛
元嫁(妻)との出会い
内田朝陽(うちだ あさひ)さんは、2012年7月に元嫁(妻)とロシアのモスクワで出会いました。
仕事でロシアにいた内田朝陽さんと、一般人の元嫁(妻)は母と一緒に旅行に来ていたところで、「運命的な出会い」とも言われています。
内田朝陽さんの元嫁(妻)は、東京大学農学部出身でさらに超美人の才色兼備でしたが、地元・三重県で地方公務員として働いています。
帰国後交際を開始した内田朝陽さんと元嫁(妻)は、遠距離恋愛ながら一緒に国内外を旅行したり美術館巡りなどのデートを重ねた末に結婚。
交際開始1年後の2013年10月に内田朝陽さんがプロポーズし、2014年末に婚約を発表、年が明けてから結婚をしています。
2年もの遠距離恋愛を、多忙な俳優と一般の地方公務員の女性が続けて、結婚に至るほど元嫁(妻)が魅力的だったんですね。
内田朝陽さんと元嫁(妻)との結婚式のようすは、下記URLからご覧いただけます。
大病を支えた元嫁(妻)
内田朝陽(うちだ あさひ)さんは、2016年に脳腫瘍が見つかり手術を行っています。
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この時も内田朝陽さんを支えたのは、元嫁(妻)と家族でした。
入院をしたその日、元嫁(妻)が赤ちゃんのエコー写真をお守りとして内田朝陽さんに渡したそうです。
これが力となり、内田朝陽さんは「自分は絶対に死なない」と感じたといいます。
命にもかかわる大きな手術でしたが、術後は順調に回復し芸能活動も再開しています。
この時には仕事の降板などの辛い経験も体験した内田朝陽さんですが、元嫁(妻)の献身的な支えと家族の愛のもとで復帰を果たしたのです。
子供や離婚の原因は?
一人息子と地方の豪邸
内田朝陽(うちだ あさひ)さんは、東大農学部卒業・地方公務員として働く元嫁(妻)の住む三重県に「家族のための豪邸」を建てています。
2019年に建てた家は、料理好きな内田朝陽さんに合わせたキッチンや防音室が完備されています。
この豪邸は内田朝陽さんと元嫁(妻)と子供のための家で、内田朝陽さんは超高級車で三重県のこの家に訪れていたそうです。
結婚後すぐに脳腫瘍という大病を元嫁(妻)と乗り越えた内田朝陽さん、2016年には一人息子が誕生しています。
子供のことも本当にかわいがっており、家族関係は良好にみられていました。
めちゃくちゃ豪華なおうちです。
さらに2018年の誕生日には、まだ幼い息子からバースデープレートのプレゼントもされています。
中年パパ向け雑誌では、『内田朝陽の息子・自分そして家族』という連載を今も続ける内田朝陽さん。
仲の良い家族を演じつつも、現実には2020年末に元嫁(妻)とは離婚、結婚生活と家族は破綻していたのです。
離婚の理由はなに?
内田朝陽さんの離婚についてスクープしたポストセブンでは、かなりシビアな状況も報道されています。
「プライベートでも、
デビュー作の共演相手で所属事務所の先輩でもある深田恭子さん(39才)との熱愛が報じられたことがありますし、
2019年には2016年から脳腫瘍を患っていたと告白。最近では、幼なじみであるタレントの中川翔子さん(36才)の親と内田さんの親の間で、
数千万円単位の金銭トラブルが起こっていることが報じられるなど、何かと話題の尽きない俳優ですね」(芸能関係者)
確かにこれは、痛い旦那(夫)ですね。
さらに三重県の「家族のために建てた家」自体が、身長が183㎝もある内田朝陽さん仕様だそうです。
元嫁(妻)は東大在学中に、週刊誌のグラビアに取り上げられたほどの美人でスタイルも良いそうですが、さすがに183㎝の身長に合わせたキッチンで料理をするのはきついですね。
細かなところで、7歳年上の内田朝陽さんに合わせてきたものの、やはり子育ての中心と仕事なども含め元嫁(妻)に負担が大きくなっていったでしょう。
自然豊かな場所で子育てをしたいと、三重県に家を建て、内田朝陽さんは東京都行き来をする二重生活を送っていました。
つまりはそもそもが、別居婚という選択になったということです。
さらに2020年に起きたコロナ禍は、家族の直接の交流にも大きく影響しているはずです。
それまでも少なかった家族としての実生活に制限がかかり、お互いに家族としてのあり方を見直すことになったともいえます。
あまりよくない噂や報道に加え、家族間での地理的な距離は心の距離も生んでしまったといえるかもしれません。
まとめ
この記事では、内田朝陽さんと元嫁(妻)や子供についてや離婚原因についてご紹介しました。
個人的には、息子さんのためにも関係修復を期待したいと思います。
それでは、最後までご覧いただきありがとうございました。